ホタル舞う夜の空 -18ページ目

傘をささない人たち

この街に来てから、傘をさすという習慣がなくなった。

雨がまったく降らないわけではないけれど、長く降りつづけるということがあまりない。

一日中途切れることなく雨降り、なんてことはまず、ありえない。

それに、東京のように大粒の雨がボタボタと降り続けることもまれ。
どしゃ降りもたまにはあるけれど、15分もすれば止むか、小ぶりになるかしてしまう。

どしゃ降りになったら、西の空を見る。
西の空が明るければ、雨はすぐに通り過ぎるはず、本屋でも入って時間を潰そう。

ほら、もう止んだ。

子供の頃に誰かが教えてくれたこと、でも東京では本気で取り合ったことのない「生活の知恵」が、
ここでは当たり前。

だから傘は持ち歩かない。

ドイツ人はそのかわり、撥水加工や防水加工のしてあるジャケットを持っている人が多い。
それも、おしゃれなレインコートではなくて、アウトドアなジャケットが多い。

散歩好き、ハイキング好きのドイツ人らしい、と、私は思う。

雨が降り出すと、リュックサックの中からジャケットを取り出して着込む人々。
老若男女を問わず。
フードを被り、そのまま何事も無かったの様に歩きつづける。

雨の降り方の違いで、
東京は、やはり亜熱帯地域に近い気候なんだということがよく分かる。

おしゃれをしている若者達はさすがにそうはいかない。
折り畳み傘を取り出す子もいれば、建物の下で雨宿りをする子、構わず濡れたまま歩きつづける子も多い。



須賀敦子氏のエッセイに、傘をささないイタリアの男たちの話が描かれている。
(「雨の中を走る男たち」 in トリエステの坂道)

須賀敦子氏のエッセイの描写は、どれもすごく美しい。

一見散文風な彼女の文章は、実は時間を掛けて綿密に練り上げ、
言葉を一つ一つ吟味し、余計な言葉を省いて、
丁寧に、しかしリズムよく紡がれている。

簡単で分かりやすいんだけど、とても美しい日本語で。

一章一章が完結しており、
プロローグがあり、エピソードが語られ、そしてエピローグで結ばれる。

時として、プロローグとまったくつながりが無いと思われるようなエピソードが挿入されていたりする。

章の最後には、章のキーワードが明かされ、
それでジグソーパズルの最後の一片がはめ込まれると、
彼女が描いた一幅の風景画が完成する。

それは、芸術的でさえある。

著者: 須賀 敦子
タイトル: トリエステの坂道―須賀敦子コレクション

O教授の思い出

Gとの思い出、出会い編 」にも書いたが、
ドイツへ来て半年後にマスターコースに入学してしまった無鉄砲な私は、
毎週新しい講義を受けて金曜日に試験を受けるという勉強漬けの日々に、一学期目が終わる頃には、心身ともに疲れきり、
受けても受けても落ちまくる日々に、精神的にもかなりまいっていた。

たまたま廊下の掲示板で、最後の試験にも落ちたことを確認した直後に、
その講義を担当した研究室の教授と出くわしてしまった。

気まずい思いで挨拶すると、教授の方でもすぐに私が誰だかに気付いたようで、話し掛けてきた。

「あなた、この講義を受けてましたね。試験に不合格だったマスターの学生でしょ?」

「・・・はい。」

「あなたはまだまだ語学を勉強する必要があるようですね。あなたの問題は、語学だけだと思います」

はっきりと指摘されて、私は傷ついた。
泣きたいくらい情けなかった。

************

本当の事なんだから傷ついたって仕方が無いんだけれど、日頃から何度も何度も思い知らされ、悔しさと情けなさに耐えつづけてきた私は、これ以上この教授と話を続けるのが、本当に苦痛だった。

今だから簡単に言えることだが、当時の私は語学が出来ないこと、同じ学期にマスターコースに入った仲間達がどんどん語学を習得し、何とか試験をこなしていく中、自分だけがいくら勉強しても試験をいくつ受けても落ちまくることで、劣等感に打ちひしがれ、すっかり自信を無くし、卑屈になっていた。

誰かに助けを求めることも無く、自分で何とかしようともがき、いくらもがいても前にまったく進めないことでますます殻に閉じこもっていった。

しかし、そういう大変な時だからこそ、問題を抱えた自分の存在を主張し、大声で助けを求め無ければいけないのだ。

日本では、当たり前のように何でも自分でこなしてきたのに、
ドイツへ来て、自分ひとりではどうにも乗り越えられないことがたくさんあるという厳しい現実に次々と直面し、人に頼る、お願いするということを覚えなければならなかった。

***********

適当に話をごまかして立ち去ろうとする私に、教授がしつこく話し掛けてきた。

「学期の休みに入るわけだし、どこかの研究室で仕事をしてみたらどうですか?」

耳を疑った。
講義を聴き取ることさえ満足にできない留学生に、仕事をさせてくれるようなボランティア精神旺盛の研究室があるのだろうか?

私は、かなり動揺して冷静に物事を考える余裕は無かったが、この思いがけない提案に対し心からの感謝して、是非その話を進めてもらうように、息も切れ切れになりながらお願いしたのだった。

この時、うれしさと情けなさとが入り混じって、今にも泣き出しそうな私に、その教授は言った。

Das Leben ist hart, oder?」 人生は厳しいものなんです、そうでしょ?

彼自身の優しさとも厳しさとも取れる、非常に直接的な言葉だが、しっかりと私の中に刻み込まれた。

サバを読みたくなる瞬間

日本人は、いや、アジア人は全般的に若く見られてしまう。

これはもう、どうしようもないこと。

理由1「肌がきれいだから

冬が長くて暗いヨーロッパでは、春から秋にかけて、太陽が顔を出せば、みんなここぞとばかりにカフェの外席に繰り出し、公園や川辺で日光浴をする。

ただでさえ空気が乾燥しがちなヨーロッパで、無防備に全身を焼くヨーロッパ人の肌は、
20代の後半に入ると、本当に坂を転げ落ちるように老化していくことも珍しくない。
たいていシミだらけでしかも乾燥してかさつき、しわが深く刻まれていたりする。

だから私は、ヨーロッパ人の友人や同僚からの嘲笑にも負けず、曇りだろうが、雨がぱらつこうが、冬だって、毎日UVカットミルクを塗り続ける。

理由2「体型が子供みたいだから

ドイツ人の女の子の発展過程を見ていると平均的に以下のような過程をたどるようだ:

ティーンエイジャーの頃は、痩せていてスレンダーな体型がよく見られる。頭は小さいし手足は長いし、肌はもちろんきめが細かくてきれいだし、目はパッチリしていてまつげは長いし、まさにモデルみたいな子がゴロゴロいる。

10代の終わり頃から20代に入ると、次第に丸みを帯び始める。といっても、太っているという次元ではまだなく、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる、健康的にセクシーな子が多い。

しかし、20代も半ばを過ぎるとさらに水平方向の成長が進行し、肝っ玉母さんのようなたくましい体型へと発達していく。

ヨーロッパ人女性の20代後半からの発達は、時としてものすごい速さで訪れる。
しばらく会わなかった友達に数年振りに出会うと、一瞬誰だか分からないくらい変貌を遂げていたりする。

それに対して、アジア人は短期間にそんなに大きな変化が訪れることはあまり無い。

つまり、アジア人の女の子に典型的な、ほっそりとしてはかなげな体型は、

「未発達なティーンエイジャー」と同類に見られるようなのだ。

そういうわけで、私など、日本に行けば友達から「ドイツに行って、ちょっと太った?」と突っ込みが入るくらいの体型なのに、こっちの友人からは、

君は小さいんだから、もっとたくさん食べなさい

と、言われてしまう次第なのだった。

さて、前置きが長くなってしまったけど、

サバを読みたくなる瞬間、

パーティなどで、知り合った、まだ大学に入ったばかりの坊やから

「君は、もう20歳になったの?

と聞かれた時。

その坊やを落としたいからではなく、あまりのギャップに実年齢を明かす気力が萎えてしまった時。


右?左?

ドイツでは、婚約指輪は左手の薬指に、
結婚指輪は右手の薬指につける。

ことになっているようだが、右手だと邪魔だから左手につけている人だってもちろんいる。

理由は、、、一度聞いたんだけど忘れてしまった。

いつだったか、友達がテレビだか雑誌だかから仕入れてきて教えてくれた話だけど、
男性が一人、または友達同士で飲みに行ったり遊びに行ったりしている時、
結婚指をしている男性の方が、していない男性よりも圧倒的に女性から声を掛けられる確率が高いんだとか。

その友達の解釈によると、
結婚指輪・婚約指輪をしているということは、

まともな恋愛関係・人間関係を築くことができる、異性としてそれなりに魅力のある男性であるということを証明しているので、

女性の方でも安心して近づいて来られるのだとか。

さらにその友達曰く、
女性の方だって、はじめっから恋愛関係になろうと思って声をかけているんじゃなくて、
単におしゃべりをして楽しい時間を過ごしたいだけって事もあるし。

言われてみれば、なるほど、と頷けないこともない。

しかし、結婚して、相手に指輪をつけてもらって浮気予防は万全というわけにはいかない、ということか。

ローテンブルグの思い出2

この中世の町並みをそのままに時が流れるのを忘れてしまったような、ある意味テーマパークのような町に、ゲーテ・インスティチュートがある。

ゲーテ・インスティチュートとは、国内ばかりでなく世界各国にドイツ語学校を持っている半官半民のような教育施設だ。
日本にも東京と大阪に学校がある。
東京校で数ヶ月ドイツ語の基礎を学んだ私は、日本でドイツにある学校の受講手続きを済ませて来ていた。

この町で私は、ドイツ語も満足に離せない状態で、海外生活を開始した。
資金を節約するために二人部屋に申し込んでいたため、イタリア人の女の子と生活することになった。
それまでずっと東京の親元で生活していた私が、生まれてはじめての海外生活で、生まれて初めて知らない人と二人暮しをはじめることになった。

Wohnung

それは、町から少し離れていたけれど、真新しい低層集合住宅の1階にあるアパートメントで
部屋自体はごく小さいものの、南側の芝生の庭に面して前面が窓だったので、とても明るくて気持ちの良い部屋だった。

2ヶ月間の同居人となったイタリア人のFは、当時23歳で、北イタリアの工業都市、モデナの大学生だった。
小柄で童顔の彼女は、中学生か高校生くらいにも見えた。
大学で英語とドイツ語を専攻しているけれど、ほとんどの講義はイタリア語で行われ、会話の講義はないために会話力を身につけるために2ヶ月間の留学を決めた、
という彼女は、最初っからドイツ語で達者に話し(少なくとも当時の私にはそう思えた)、
とにかく間をあけることなく常に自ら何かを話し、私にも話させようとした。

「あたしは、毎日必ず1度、パスタを食べなければ生きていけないの」

早々にそんな宣言をされた。
私の友達にも、毎日少なくとも1回は米粒を食べなければ生きていけないという子がいるが、イタリア人もそうなのか、と親近感が沸いた。

自ら宣言するだけの事はあり、彼女はスーツケースにいくつもトマトソースや緑のペスト(バジリコのソース)を詰めてきており、見るからに重そうで、よくこんな小さな体でこんな重たそうなスーツケースを運んできたものだと思ったが、
「ドイツで売られているソースは美味しくないんだ」、と、何度も繰り返すところを見ると、本当にイタリア風パスタなしでは生きていけないんだろう。

次の日から、13時に授業が終わると家へ帰り、二人でパスタをゆでイタリア直輸入のソースをからめ、サラダを作って昼食を食べる日々が始まった。
ペストというソースを食べたのは、このときが初めてだった。
こんなに簡単でこんなに美味しいものがあるのか、と思った。

パスタがイタリア風なら、サラダもイタリア風だった。

スーパーで買い物をしていた時、どの葉っぱ(Salat)を買おうかと聞かれて困った。
日本では、サラダと言えばレタスだったからだ。
私は、普通のレタスとサニーレタスくらいしか知らなかった。
しかしここには、レタスはもちろん、今までに見たことのないような葉っぱが売られている。

とりあえず知っている中から、サニーレタスは紙みたいで嫌いなので、普通のレタスを手にとって、「日本ではいつもこれだった」言うと、
「じゃあそれで良い」と言うので、一日目のサラダはレタスだった。

数日後、レタスがなくなったので新しい葉っぱを買いにスーパーへ行くとFが言った。

「この葉っぱは硬くて美味しくないから、Feldsalatが良い。家ではいつもこれだったの、やわらかくって美味しいのよ」

「フェルドザラート?何じゃそりゃ??」

これ↓である。

Feldsalat

日本では一度も見たことがなかった。
もちろん、連日の残業生活で、実家の家事の手伝いなど一切放棄していた私だから、
日本のスーパーに何が並んでいるのかなんて、実際はよく知らない。
日本ではなんていう名前なんだろう?
英語では??

非常にやわらかい葉っぱで、香りはあまりないんだけど、ちょっと独特の味を持っている。
言葉ではとても表現しにくいんだけど。

フェルドザラートだけのサラダも美味しいし、トマトやモッツァレラ、ラディッシュなんかと混ぜても美味しい。
バルサミコを使ったスタンダードなソースや、
さっぱり味のベースにナッツ類やカボチャやヒマワリの種などを加えたソース、
または、ごま油と醤油を使ったソースなんかにもよく合う。

今では私も大好きだけど、
当時の私は見たこともない上に、レタスよりもお高めのこの葉っぱをちょっと敬遠していた。

ちなみに、彼女のサラダの食べ方も、はじめて見る私には新鮮だった。
まず洗った葉っぱ、適当に切ったトマトを自分の皿に取り分ける。
そこにオリーブオイルとバルサミコをドボドボとかける。
その上に塩を振ったら、フォークとナイフでトマトや葉っぱを皿に小さく切って、ソースとからめて食べる。
最後に皿に残ったソースをパンできれいにぬぐって食べる。

この、オリーブオイル、ドボドボの量が半端ではない。
何しろ、二人の生活で、500mlのオリーブオイルが2週間くらいでなくなったんだから。
ちょっと心配になって、聞いてみたが、答えはあっけらかんとしたものだった。

オリーブオイルは体に良いのよ

「他のオイルは太るからダメだけど、オリーブオイルはいくら摂っても大丈夫なの。健康のために毎日摂った方が良いんだから」

「しかし、どんなに良いものでも、やっぱり適切な量ってものがあるんじゃない?
どんなに質が良くてもオイルはオイル、摂り過ぎは逆に体に良くないはずだよ」

なーんてことは、当時の私の語学力では言えるはずもなく、
毎日ただただ目を見開いて見つめるだけだった。

ローテンブルグの思い出1

6年前、ドイツへ生まれてはじめてきた時に、一番最初に生活した町がローテンブルグだった。
正確には、ローテンブルグ・オプ・デア・タウバー(Rothenburg ob der Tauber)という。
ローテンブルグと言う地名が他にもあるため、区別するために、「タウバー川の上のローテンブルグ」と呼ばれるのだ。
実際にローテンブルグの町は、タウバー川の川岸にせり立った岩山の上にある。タウバー川のほとりから見上げる町は、まさしく中世の要塞都市といった感がある。

ローテンブルグと言えば、ロマンティック街道の中ほどの観光の目玉の地であるから、日本人でも知っている人は多いと思う。
私が滞在していた4月と5月には、本当に毎日のようにバスで日本人の観光グループが到着し、町の中心部にあるホテルに1泊して、市内観光をして次の目的地へ出発と、怒涛のように通り過ぎていったものだった。
町の中には日本人の女性が働いているおみやげ物屋さんもあり、
ドイツ人の多くは、「町の中は日本人ばかりだ、しかも毎日短時間の、それもグループでの観光だけで次の日には出発していく」と少々呆れ顔だったが(それで町が潤ってるんだから、文句を言われる筋合いはないんだけど)、
実際にはイタリア人やアメリカ人のグループの観光客も日本人グループと同じくらい、というかそれ以上に多い。

中世の頃に建設されたこの小さな町は、いまだに完全に城壁に囲われている。
1945年、第2次大戦終戦間際に、爆撃を受けて部分的に破壊されたが、
終戦後、国内外からの資金援助を受けて、完全に近い形での復元整備が実施された。
中世の頃の町並みが、本当に古い建築物とともに保存されている、まさに観光のために作られたテーマパークのようだ。
人々の生活感があまり感じられないは事実だ。

matsuri2

あまりに観光地すぎて行く気がしないというドイツ人も多いが、この町の完璧なまでの中世の町並みは、一見の価値があると私は思う。
確かに町の中心部には常に観光客が居て、あちらでもこちらでも記念写真を撮っており、落ち着いて美しい建物に見入るような雰囲気ではないかもしれない。
しかし、そこから少し外れて路地へ入れば、中心部の喧騒が嘘のようにひっそりとしていて、石畳とパステルカラーに塗られた石の壁のかたく、ひんやりとした質感を肌で感じることができる。
そして何よりも、毎日のように散歩に行っていたタウバー川のほとりの夢の中のような美しさは、私の中に今でも鮮明に焼きついている。

タウバー川

1泊で通り過ぎてしまうにはもったいない町だ。

COOL BIZ導入って?

そう言えば、日本のサラリーマンはスーツにネクタイが基本なんだっけ。
いちいちドイツの話を持ち出すのも気が引けるが、ドイツでスーツ姿の人は、それだけで大体職業が絞り込まれる。スーツらしきものを着ていてもネクタイをしていない人も結構いる。
銀行マン、弁護士、、、営業マン?

私が住んでいる街は、まともな産業もない田舎の小さな大学町なので、街を歩いていてスーツにネクタイ姿の人とすれ違うと思わず振り返って眺めてしまうほどだ。
私が研究活動をしている研究室の教授なんて、講義が無い日はジーンズ姿でやって来たりもする。さすがにTシャツ姿は見たことないが。
講義の時だって、博士課程終了時の口頭試問の時だって、彼のスーツ姿は一度も見たことがない。
そもそも、うちの学部で、由緒正しい教授然としてスーツで講義を行う教授は二人程度だ。

私も大学を卒業した後は、東京のオフィスで働いていた。
会社の男性陣はやはり、スーツにネクタイ姿が当たり前だった。
私が勤めていた会社は、社員の90%近くが技術職で、日常的に外でクライアントと打ち合わせをしたり、外注先の技術者と打ち合わせをしたり、自ら報告書を書いたり、図面を作成したりしなければならなかった。
技術系の社員だった私も当然同じ業務をこなしていたわけで、当然クライアントとの打ち合わせにはスーツ(のようなもの)を着ていかなければならない。

どうにも納得いかなかったことがある。

一体なんだってわざわざこんな動きにくい格好で仕事をしなければならないのか?

クライアントに会う時に、スーツを着なくてはいけないのは分かる。
あまりにカジュアルな格好を、失礼だと感じる人が多い以上、社会人としては「常識」なんだろう。

しかし、一日中図面作業が待っていると分かっている日、パソコンで図面や報告書の作成をしなければならないと分かっている日に、動きにくいYシャツとしわになったりするスーツのパンツをはいている意味がどこにあるんだろう?
実際、図面作業をしなければならない時、男性社員の多くは邪魔になるネクタイを外すか、胸ポケットに突っ込んでいる。

というわけで、私は打ち合わせの日以外には、カジュアルな格好で出社することが多かった。
カジュアルとは言っても、もちろんジーンズでなんかは行ったことがない。
にもかかわらず、同期入社で口の悪い同僚からは、

「おぉ、バイトかと思ったよ

などと、よくケンカを売られたものだ。

さらに、東京のいわゆるオフィス街にあった会社のビルは、毎日24度くらいまで冷房されていた。
こんな環境で、夏だからといっていきなり薄着になると痛い目にあう。
何時間も集中してパソコンに向かっていた後、トイレへ行こうと立ち上がったら、冷え切ったヒザが固まって上手く歩けなかった、なんて事はざらで、しまいにはヒザが痛くなってくる。
女性社員はみんなロッカーに、セーターやひざ掛けを常備していたが、これらは夏場だけに使われることが多かった。

一度、あまりに寒かったので窓を開けて暖かい外の空気を入れていたことがあった。
1時間もしないうちにビルの管理人がやってきて、オーナーが見つけたら怒られるから、閉めてくれと言われた。
冷房費をケチっているビルだということで、悪い評判が立ちかねない、ということらしかった。

暑いから窓を開けたんじゃない、
寒くて指先がかじかんで、キーボードが打てなかったんだよお!!

Erleuchtung garantiert (1998)

監督:DORIS DÖRRIE
出演:UWE OCHSENKNECHT(ウヴェ)、GUSTAV-PETER WÖHLER(グスタフ)

この映画、グッバイ、レーニン!(2003)を観るまでは、私の中でドイツ映画の一押しだった。
タイトルは訳すると、「悟りを開くに達すること、間違いなし」という意味。

一言で言うと、ドイツ人の中年二人組みが、人生の救いを求めて、日本へ行き、禅寺で修行を積むというコメディ。
こう書くと、日本人や社会の特徴や文化を笑いものにするドタバタコメディを想像するかもしれないが、この作品はそうではない。
異文化の中でのショックや孤独感と、同胞との出会いとほのかな恋愛感情を描いたLost in Translationとはまったく違って、積極的に日本の文化の一部を体験し、何かを得ようとしている一生懸命な人間の姿がある。
コメディとは言っても、若さを通り過ぎ、人生の後半に差し掛かったところで自分自身を、生きる意味を見失ってしまった大人達の、必死な姿を描いている。
あくまでも真剣に、心の安息を求めて、日本の、山奥の禅寺まで来てしまった、日本語のまったく離せない中年のオジサンの道中記だ。

erleuchtung1

ウヴェとグスタフは兄弟だが、性格も生き方も正反対。
グスタフは繊細なタイプで、社会的にもそれなりの地位を確立している。
映画を観たのがもうかなり前なので、正確なところは覚えていないが、大きな家を持ち、立派なオフィスを持つ、典型的な成功した人だった気がする。
それなのに、グスタフは気持ちがすぐれない。
何かが足りない。
オフィスには卓上の枯山水の箱庭があり、ミニ熊手でいじっては思い沈んでいる。
禅の教えに傾倒しており、悟りを求めて、近いうちに日本への旅行を計画してる。
ウヴェは、がさつで豪快なタイプで、最近妻と子供に捨てられた。
投げやりになっているウヴェは、グスタフの日本行きに強引に着いて行く事にする。

禅寺へ行き着くまでの道中は、あまり記憶に無い。
オフィシャルWebサイトのあらすじ を読んでみると、東京で路頭に迷い、パスポートもクレジットカードもすべて無くして、ドタバタの珍道中の末、どうにか禅寺にたどり着いたとある。

そう言えば、東京のデパートで商品のテントを万引きするというシーンがあったような気がする。
10時の開店とともに、人々の波にまぎれてデパートへ入っていくと、各売り場の店頭に並んでお客を待ち構えている売り子の女性たちが、次々と丁寧にお辞儀をして笑顔で「いらっしゃいませ」と挨拶をする。
二人はそれに度肝を抜かれながら、日本人のように素通りすることができずに、小走りながらもいちいち頭を下げて挨拶し返す。
まだドイツへ来て一年も経たない頃だったと思うが、ある意味で異様なくらい礼儀正しく愛想の良い日本の接客態度が、ドイツ人にショックを与えるということを疑似体験した瞬間だ。
というのも、ドイツ人の売り子の愛想の悪さはひどいものなのだ。

erleuchtung2

erleuchtung3

ようやくたどり着いた禅寺でもカルチャーショックが彼らを襲う。
朝は5時起床でまずは本堂の掃除。濡れた雑巾で床を拭くなんて考えてみたことも無かった二人だ。
掃除が終われば朝食。パンもチーズもミルクも無い、薄いおかゆだけの朝食。
文字通り、箸の上げ下げ一つまで、作法があることを教えられていく。

ハンディカムで撮影された映像と、役者が本名で登場し、等身大のキャラクターを"演じている"リアルなリアクションが、ドキュメンタリーのようで面白い。
映画専門学校で学んでいた監督の卒業制作だったらしい。

Good Bye, Lenin! (2003)

監督:Wolfgang Becker
出演:Daniel Brühl(主人公アレックス)、Katrin Saß(アレックスの母)
ドイツ映画界久々の大ヒットとなった作品。
1990年の東ベルリンを舞台に、ある日突然生まれ育った国家が消えてなくなり、大変動する社会や、そこから新たに再出発を余儀なくされる人々の姿を描く。
と書くと、すごく理屈っぽいけれど、21歳の青年の目を通じて、時にユーモラスに時に感傷的に、テンポ良く、かつ誇張しすぎずに見せていて、東ドイツの事をあまり知らない人も、良く知っている人も楽しめる。

タイトル: グッバイ、レーニン!
予告編のキャッチコピー、
「DDR(ドイツ民主主義共和国=東ドイツ)は生き続ける、78㎡の上に、、、本当だよ!」
を見て、西と東の較差を中心に描いたコメディを予想していた。
もともと東ドイツの生活や東西ドイツの統一の話には関心があったし、
友達や同僚にもよく話を聞いていたので、公開が始まるとワクワクしながら映画館へ行った。

実際には、東ドイツの生活の様子や激動する社会の様子を、ユーモアを交えながらも、面白おかしく誇張することもなく、予想に反してまじめに作られている映画であり、想像していたよりもずっと良かった。

ある日突然、平和的統一という言葉の元に一つの国家が隣国に吸収されてしまったという現象、
お祭り気分で浮かれる人々と、間髪入れずにどんどん押し寄せてくる西側の消費社会、競争資本主義社会の東側への進出、
共産主義のイデオロギーの世界から、西側の競争資本主義の原理の中へ放り出されてしまった人々。
若くエネルギーにあふれる人々は、待ちに待った東西ドイツの統一、というよりも西側への吸収合併に、それでも柔軟に器用に適応していく。
当時の状況が描かれていてとても興味深い。

想像してみて欲しい。
長年にわたり、共産主義のイデオロギーを植え付けられ押さえつけられ、自由に発言することもできず、国家の政策を批判するにも顔ぶれを選び、密室で顔を寄せ合うように話をするしかなかった「民主主義国家」が、ある日音を立てて崩壊していったその衝撃の大きさを。

東ドイツの政策に賛同し、自ら率先してイデオロギーを実践してきた母。
それは、西へ逃亡した夫と生き別れた彼女が、子供達を守るために残された生きる道だった。

身も心も東ドイツのイデオロギーに心酔しているかのように見えた母は、
東西ドイツ統一直前に心臓発作で倒れ、
それも大事な息子が国家に背くデモに参加しているのを目にして倒れてしまったのだが、
植物状態で眠りつづけ、東ドイツ崩壊の事実を体験しないままに8ヵ月後、奇跡的に目を覚ます。
アレックスはそんな母親を思い、東ドイツが存続しつづけているかのように嘘をつく覚悟を決めたのだ。

しかし、日々どんどん西側の競争資本主義に侵略されていくベルリンで、東時代の生活を続けることは、アレックスが考えたほど簡単ではなかった。
東時代は国家に守られてきた国営企業や国営工場は、生き残るチャンスも無く、次々と姿を消していく。
母が欲しがる食料品を揃える事も、ままならない。

母が寝たきりの時はそれもアパートメント内だけのことだけで済むが、周囲の想像を反して母親は順調に回復し、自由に歩き回れるほどになってしまう。

東ドイツの国産車トラバント(愛称トラビー)、普通は申し込んでから10年も待たされるのに、「もう手に入ったの」と大喜びする母。
母を郊外へ連れ出すために、東ドイツの崩壊後、クズ扱いされているトラビーを手に入れてきたアレックスだが、母の目を見ることも笑うこともできないアレックスの表情がやるせない。

いよいよ追い詰められたアレックスは、嘘を終わらせるために、最後の一世一代の大嘘を準備する。
それはあまりにも馬鹿げているが、音を立てて崩壊し消え去ってしまった祖国への、彼自身のレクイエムでもあるようで切なさを残す。
子供時代から青年期までを過ごしてきた祖国を失った彼らは、これから同じドイツという名の別の社会の中で生きていかなければならないのだ。

東ドイツ出身の人は、正確には東ドイツで少なくとも思春期ぐらいまで育った人は、雰囲気が少し違っていたりする。
何となく、この人ドイツ人らしいけどちょっと違うなあと思っていると、東出身だったりするものだ。
そして彼らの中でもよく、「自分は外国人だ」という人がいる。
母国に居るとは思えない、外国で生活しているみたいだ、ということらしい。

主役を演じたダニエル・ブリュールは、ドイツ人の父(バンドのヴォーカルで役者もやっているらしい)とスペイン人の母を持ち、バルセロナ生まれケルン育ちだとか。
ドイツ映画界に彗星のごとく登場し、瞬く間にトップスターの仲間入りをした。
見た目もカッコイイけど、表現力のある役者で、出演してきた映画も良い作品が多い。

出会いのイロイロ

ドイツの学生は意外にもシングルが多い。
少なくとも、私の周りには意外と多かったりする。
いや、私が「意外にも多い」と感じるだけで、実際の割合からすれば少ないのかもしれないが。

学生というのはこの場合、大学生のことだ。

ドイツの小学校は4年生までで、4年生を修了した時点で、その後のコースを決定しなければならない。
州によっても多少違ったりするけれど、進学コース(ギムナジウム)と実業コース(レアルシューレ)、職業コース(ハウプトシューレ)の3つがある。
ギムナジウムに進学した子供達はそれからの9年間を、一つの学校で過ごし、最終的には大検(アビトゥーア)に合格しなければならない。
このアビトゥーアはセンター試験のようなもので、これに合格した子はみんな、大学へ入る権利がある。

こうして、10歳から19歳まで学校によってビッチリと勉強してきたガリ勉君・ガリ勉ちゃん達に、意外とシングルが多い。

私が所属している学部が、理系の中でも超マイナーで、世間からもほとんど忘れられているような分野だからなのかもしれない。
とはいうものの、日本にも見られるような「環境ブーム」で、年々女子学生の割合が増加していることも事実だ。

もちろん、ギムナジウムから付き合い始めたパートナーと10数年以上も一緒に居るというケースもあることはある。
そして、大学の中でパートナーを見つける場合もたくさんある。
しかし逆に、そうでもなければなかなか付き合うような相手にめぐり合えない、ということなんだろう。

学生ばかりではない。
私とアパートメントをシェアしているドイツ人のDは、とっても優しくって明るくて笑顔のすてきな女の子。
彼女は大学へ行ったことはなく、実業コースを経て、現在は女性ばかりの職場で働いている。
彼女がシングルだなんて、最初は信じられなかったが、シングル歴がそろそろ4年、出会いを求めている。

「パーティに行ったり、踊りに行ったりしても、新しく人と知り合うのは難しいし、知り合う男達はみんな遊びだけが目的だったり、出会いが無い」
と、ぼやいているところを見ると、どこの国も事情はあまり変わらないようだ。

話は大きくそれるが、これに対して国籍を問わず、留学している女性のカップル率は非常に高いような気がする。
特に、ドイツへ来てまだ数ヶ月で会話にも困るような状態でパートナーを見つける女性が非常に多いところが面白い。

面白いというか、ごく自然な成り行きなのだろう。
言葉が出来ないにも関わらず、来てすぐの頃は色々と手続きが必要だったり、部屋探しや語学学校探し、大学探し、トラブルが起こったりと、これまでに体験したこともないくらい多くの問題を抱えてしまったりする。
それに加えて、留学生は孤独で不安だ。
自国にいれば、家族があり、古くからの友達があり、
たとえ家に一人で居たとしても孤独感を感じることなんてあまりないはず。
それが、外国では本当に独りぽっちだ。

そんな時に、ネイティブスピーカーの男性が親切に色々と手を貸してくれ、相談相手になってくれ、他愛もない話の相手をしてくれれば、頼りがいのあるスーパーマンに見えたりもするだろうし、心が癒され、寂しさはまぎれ、気持ちが引き付けられていくのは、当然といえば当然だと思う。

またネイティブの男性にとっても、異なる文化圏からの外国人はエキゾティックだし、新たな文化に触れること自体がエキサイティングだろう。
その上、たった独りで言葉の分からない異国に乗り込んでくる勇気ある女性と知り合うことは、多いに刺激になるとともに、方っておけないという気持ちになるに違いない。

さらに、タンデム・パートナーからカップルになるケースがメチャクチャ高い。
タンデム・パートナーとは、母国語以外の言語の習得を目指す人々のギブ&テイクのシステムで、
例えばドイツ語会話のトレーニングをしたいスペイン人がスペイン語を学びたいドイツ人とタンデム・パートナーの約束をする。
たいていの場合は、週に一度くらいどこかで会って、1時間ずつくらいそれぞれの会話の練習をしたり、勉強を手伝ってもらったりするようだ。
私自身は、タンデム・パートナーを持っていた経験がまったく無いのでよく分からないが、とても良いシステムだと思う。
ネイティブの中でも相手の文化にもともと興味のあり、また少しは言葉も出来る人と知り合えるので、上手くいくことが多いようだ。

お金のやり取りをせずに必要なものを与え合うという点が、非常にドイツらしいような気がする。

もちろん、日本人マニア やラテンアメリカ人マニア達が、遊び相手やパートナーを探す目的だけで、タンデム・パートナーを募集することもあるので、注意しなければいけないが。