ホタル舞う夜の空 -19ページ目

ベルリンの新名所(?)

ベルリンのブランデンブルグ門から少し入ったところに、ホロコースト記念広場がオープンした。
4週間ほど前のことらしい。
5月10日の第2次大戦終戦後60周年を記念して、オープンされたそうだ。
先週、たまたまベルリンに行った折に、この広場に行って来た。

ベルリン・ホロコースト

Stelenfeld、石碑の野、とでも訳せばよいだろうか。
1.9haというかなりの広さの広場に、墓石を連想させる石が並んでいる。
広場には柵も何もなく、オープンな空間に石が並んでいるのだ。

広場の周縁部の石は40センチ~60センチほどの高さだが、
真中の方へ行くほど高くなっており、一番高い石は4.8mもあるとか。

地面自体が波上にスロープがつけられており、
その上に設置されている石はほとんどすべてが水平に取り付けられておらず、高さもまちまちだ。
空間全体が波打っているような、奇妙な感覚に襲われる。

石と石の間は約90センチから1mくらいだろうか。
中の方の、周囲の石の背丈の方が高いところへ入っていくと、
圧迫感と閉塞感で息が詰まりそうだ。
墓石に飲み込まれたような気がする。

この広場のデザインは、コンペで選ばれたアメリカ人デザイナーのものらしい。

ホロコーストの残虐な過ちを忘れないための記念の広場であり、
ユダヤ人犠牲者だけではなく、身体障害者やジプシーなど、強制収容所の労働やそのガス室で死に至らしめられた人々すべての人生を刻むための空間として作られた、ということである。

たしかに、外側から眺めていればそれは墓石の林のようであるし、
それぞれに高さも傾き加減も異なる石達は、6百万人とも言われる犠牲者が、それぞれに性格も歴史も個性も異なる一人一人の人間であったことを考えさせる。
また、広場の中心に向かって石の間を歩いていくと、生き埋めにされるような感覚に襲われ、ガス室で殺されていった人々の苦しみに思いが飛ぶ。

ベルリン・ホロコースト2

広場の建設を中心になって推進してきた団体は、ユダヤ人の犠牲者の家族などからなる団体らしい。

ヨーロッパの殺害されたユダヤ人のための記念碑財団のWebサイト
ベルリン・ホロコースト記念広場建設推進団体のオフィシャルWebサイト



出会い

私がGと知り合ったのは、私が修士課程に所属していた時だった。
今から約6年前、ドイツへ来て半年後、まだ日常会話しか出来ないくせに、偶然にも修士課程に籍を得、
無鉄砲にも予定外の学生生活を開始してしまった。

ドイツにはもともと修士(マスター)という課程(概念)は無く、外国人や外国で学士(バチェラー)を修了したドイツ人や高等専門学校出身のドイツ人のために新しく導入されたコースで、私が入学した当時はドイツ人学生の間でもその意味合いが把握されていないほどだった。

通常、外国人がドイツで大学や高等専門学校に通うためには、語学試験に合格しなければならない。
ここで言う大学とは、学士(ディプロム)の事であり、博士課程についてはこの限りではない。英語でプロフェッサーとやり取りをして、英語で博士論文を提出することも認められるからだ。
しかし、このマスターコースは、頭に「インターナショナル」という冠を頂いており、「講義は一部英語だし、試験や修士論文は英語も可」ということになっており、そのためにこの語学試験が免除されているのだ。

だからこそ、ドイツへ来て半年、ようやくMittelfstufe1(中級コース1/3)を修了したばかりの私が、
マスターコースのパンフレットさえ満足に理解できない私が、
日本の大学ではちょっと違う分野の学部を専攻していた私が、無謀にも入学してしまったのである。

マスターコースと銘打っているくらいだから、マスターの学生用の講義がある、と私達マスターは皆思っていた。疑う者は一人も居なかった。
だって2名のドイツ人を除いて皆、語学試験に合格できるほどの語学能力が身についていなかったから。
しかし、フタを開けてみるとビックリ、マスター生のための入門オリエンテーションの1週間が終わるとすぐ次の週から、ドイツ人学生が受けている普通の講義を取る日々が待っていた。

ようやく日常会話に困らなくなった程度の外国人が、いきなり大学の講義を聴いたところで理解できるわけも無い。
専門用語は語学学校では教えてくれない。
特に植物の細胞や器官、バクテリアやウィルス、寄生虫などの名前が立て続けに並べ立てられれば、それはドイツ人の学生だって根を上げるような「別の言語」なのだ。
さらに、大学の教授や講師陣は語学学校の先生とは違う。
きちんと文法どおりに話してくれるわけではないし、方言が抜け切らない人だって少なくない。
日本の教授にも居るが、話の途中から思いつくままにどんどん脱線していく教授だっている。
ドイツ人の学生は積極的に質問をし、ディスカッションをするが、そんな事をされたらもう神経が限界だ。

講義はたいていが午前中、9時や時には8時に始まって、13時には終わる。
その時間を講師達は自由に使って、60分か90分くらいごとに休憩を交えながら講義が進んでいく。
その60分間、聞き取れないだけならまだしも、話の内容、テーマさえも分からない、なんてことだってあったくらいだ。

こうして1学期目は、毎日午前中の講義、午後の演習、金曜日は試験という日々が続いた。
毎週のように金曜日に試験があったので、月曜日から木曜日までは毎日夜の10時や11時まで勉強した。
勉強した、というよりも、辞書を引き続けた。
辞書で単語の意味を調べるのに精一杯で、内容を理解するところまでは至らなかった。
だから、毎週のように試験に落ちた。
1学期が終わった時点で集まった単位は本当にわずかだった。
単位がもらえた講義は、レポート提出だけの講義だったと言っても良いくらいだ。

この頃の私は、精神的にかなり参っていた。
日本で大学に通っていた頃は、試験に落ちるなんて有り得なかった。
一夜漬けでもそれなりの成績を取れていたし、それが当たり前だった。
それなのに、勉強しても勉強しても理解できない、試験に落ちる。
「自分がこんなにバカだとは知らなかった」
当時の私を知る友人はいまだに、
「街でたまに見かけると、夢遊病者みたいに無表情でさまよっていて、明日にでも急に日本に帰っちゃうんじゃないかと思った。怖かったよ(笑」
と、その頃の話を持ち出しては笑う。

1学期目が終わる頃、一人の教授と講義室の前でばったりと出くわした。
その教授は、私がつい先日、試験を受けたものの玉砕された講義を担当する研究室の教授だった。
私の成績のあまりのひどさに見かねたその教授が私に話し掛けてきた。

「あなたの問題は語学だ。ドイツ語をもっと勉強しなければいけない。これから学期の休みに入るから、どこかの研究室でアルバイトでもしたらどうだろうか?そうすれば、その研究室の人とも知り合いになれるし、仕事を通じて言葉も覚えられるし、少しでもお金が稼げればあなたのためになると思う。」

願っても無い提案だった。
勉強さえてもらえて、お金がもらえる、そんなことが実際に可能なのかと疑ったくらいだ。
しかしその後にオチはついてくる。

「私の研究室は残念ながら、その余裕は無いけれど、あなたに希望があるならば、そこの研究室と話をして上げよう」

なんだ、たらい回しか。

その教授、本当にある研究室に話を回してくれて、数日後、その別な研究室の教授に会いに行くことになったのだった。

その別の研究室の教授は、見た目は非常に物柔らかで、紳士的で、良い人を絵に描いたような外見だ。
その紳士が、開口一番に言った。

「私の研究室は、文献をたくさん読まなければならないし、研究員同士での意見交換やディスカッションも盛んに行う。そうして一つのプロジェクトを進めて行くから、語学の出来ない外国人学生には、うちで働くのは難しいと思う。」

やっぱりね。
期待はしてなかったけど。

ところが、その後その研究室のアシスタントと教授抜きで話をしていると、
よく分からないうちに、彼の取り計らいでバイトできることになってしまった。
数日後、またしても呼び出しを受けてその研究室に出向く。
研究室の廊下で待っていると、同じくアポがあり、待たされているらしいドイツ人の若い男の子が近づいてきて、人懐っこい笑顔で話し掛けて来た。
それがGだった。

日本人マニアな男達

海外で生活したことのある人、海外に個人で旅行する人ならきっと体験したことがあるはず。
いや、日本にいる外国人でもこういう人いるでしょ?

日本人女性が好きで、日本人女性と結婚したくて、日本人女性を探している外国人男性。

私の初めてのドイツ語の先生は、ドイツ人男性で日本人女性と結婚していた。
先生と授業以外で話をしていて、奥さんの話になったら彼が言った。
「日本人の女の子は可愛い。わがまま言わないし、いつも見た目に気を使っていて、お化粧したりおしゃれしたりしていてきれい。ドイツ人の女はワガママでサイテー、すぐに文句言うし、男みたい。」

この先生が例として上げたのが、ご飯を食べに行く時のこと。
先生の「今日は何を食べる?」っていう質問に対して、日本の女の子もドイツの女の子も「何でもいい」と答えたとする。
だから先生は「じゃあ、イタリアンにしようか?」って提案する。
日本の女の子は即座に「うん、いいよ」っていう。
でもドイツ人の女の子はなんだか色々と理屈を並べ立てて、「だから今日はイタリアンはイヤ」って言う。せっかく美味しいもの食べて楽しく過ごそうと思っているのに、気分が台無し。

・・・これってでも、日本女性、馬鹿にされてない?

極端に言えば、
いつもきれいにしていて、機嫌よくニコニコしていて、言う通りにしてくれる。

だけどさ、パートナーは人形でもペットでもないんだから。

その時、私の頭の中に

ドイツ人男 = マッチョー

の図式が出来上がった。
だからドイツへ来てもしばらくは、ドイツ人男ってサイテーって思ってたし、必要以上に親しくならないようにしていた。

日本人女性マニアに多いのは、このマッチョータイプか、気の弱そうでちょっと変わったタイプ。
どちらのタイプもドイツ人女性にはあまり相手にされないんだろう。
ドイツ人女性には、自己主張の強い気の強いタイプが多い。
子供の頃から、自分の意見や好みを声を大にして表現したり、人とディスカッションする訓練をされているんだから、それも当然といえば当然のこと。

この手のタイプは、見るからにひ弱そうだったり、すごく神経質そうだったり、年齢の割に妙にオッサンぽかったり、ひどいケチだったりして、とにかくちょっと変わっているのは割とすぐに気付くはず。

しかし、ここが日本で相手が日本人なら絶対に付き合わないようなタイプだったとしても、外国での一人暮らし、言葉もまだよく分からず不安があるせいなのか、大学や役所の手続きや部屋探しや引越しと面倒なことにいちいち付き合ってくれるこういう男性に、つい依存してまうのは仕方の無いことなのかもしれない。
こういうケースは、かなり多いらしい。

ドイツへ来たばかりの右も左も分からない日本人女性に親切にし、
彼女達と付き合い、
しかし時間が経つとともにその彼女達にさえ見捨てられる、
あるいは彼が次のターゲットを見つけて乗り換える
というサイクルを繰り返している人が実際にいるくらいだ。

さらには、ドイツに住みたくてヴィザが欲しいからドイツ人と結婚する。
結婚したらすぐに子供を作る。
子供が居れば、離婚しても養育費がもらえる(かもしれない)し、
ドイツ国籍を持った子供の親ということで、当面ヴィザが出る。
ドイツ人の子供には社会保障も与えられる。
という日本人女性もいるという話を耳にすると、どっちもどっち、という気もするが。

こういうタイプとはできるだけお近づきになりたくないので、「日本に興味があるんだ」と言われると反射的に出てくる質問。

「日本人の友達はたくさんいるの?」
「日本語話せる?」

単刀直入、直球勝負。
どうせドイツ人は行間なんか読めないし。

自分の友達と同じ国出身の人と知り合ったり、同じ国出身の人が知り合いに居ると言われれば、親近感が増し、警戒心が薄れるというのは万国共通。
これで一気に盛り上がる、こともあるのかもしれない。

しかし、だからこそ逆に、勢いつけて知り合いの日本人の話をしてくれて、「誰々知ってる?」なんて次々と名前をあげる人に対しては、嫌でも警戒心が高まっていく。
やたらと日本人のそれも女の子の知り合いが多かったり、語学学校などのイベントに頻繁に参加していたり、日本語教室に通っていたりする場合は、もう少し観察してみたほうがいい。

日本語なんて話せたって大してビジネスチャンスにもならない。
だから大学に日本学部の無い街で、日本語教室に通っているドイツ人は、パートナーが日本人,家族のパートナーが日本人,日本マニアのどれかであると言っても過言ではないほどだ。
したがって、日本語が話せる人は過去に日本人のパートナーが居た確率が高い。
これがみんな日本人女性マニアであるとは言い切れないが。

さらに、日本マニアには、禅仏教や日本食などに関心を持つまじめな(?)人から、アニメオタクまで色々だ。
日本から入ってくるアニメや漫画、それもポルノ系のものが大量に入ってくるせいで日本語を勉強する人口が増えているという話を聞いた時には、さすがに気分が悪くなった。


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猫オンナさんの冷静な観察・分析に基づいた鋭い指摘に毎回苦笑い。
国際恋愛の非公式ルール「アメリカ人男性が日本女性に走る7つの理由」

英語を勉強するなら

マルタ島。

と聞いたことがある。
理由は、安く上がるから。

一つの言語を勉強するには、日常的にその言語を使うことを強要される環境に身を置くことがもちろん一番。
しかし、イギリスは物価が高い。
アメリカだって語学学校の月謝がすごく高いことで知られている。
オーストラリアは知らないけれど。
大体において、日本から手配できる語学学校はどこも高い。
これはドイツにだって言えること。

話は逸れたが、「英語は勉強したい、でもお金は使いたくない」、という学生仲間で聞いた話。
マルタ島で英語の語学留学。
実際に行った事はないし、どのくらい安いのかはよく分からないけど、
地中海の島でイタリア料理を楽しみながら英語を勉強するのも面白いかも。

世界共通語として日々重要性を増していくような気配を見せる英語だけど、
「文法などが比較的合理的で、誰にでも勉強しやすい」ところに落とし穴がある。
アフリカ人やアジア人、果てはヨーロッパ人でも英語圏以外の人が話す「母国語の訛りがきっつい」英語は、別の言語と言っても良いほどだ。
ネイティブ・スピーカーでさえ英語とは思わず、しばらくしてから「彼らは何語で話しているんだ?」なんて言ってたりする。
「僕は英語が上手なんだ」、なんて胸を張っているドイツ人学生の英語が、訛りがきつい上に言い回しが奇妙(ドイツ語的)で意味が分からない、と、外国人留学生がぼやく、なんてのは日常的で、逆に微笑ましい。

しかし、聞いたところによると、フランス語訛りの英語を話す女性はセクシーなんだとか。
そう言えば、知り合いのドイツ人男性も、カナダのフランス語圏出身の恋人がフランス語訛りのドイツ語を話すのを聞くと「とろけそうだ」と言っていたっけ・・・(笑)
結局、フランス女が好きなだけなのかも知れない。

同性愛で何が悪い?

「同性愛で何が悪い?!」っていうテーマにちょっとショックを覚えた。

同性愛について良いか悪いかというディスカッションが行われるという事自体に、すごく違和感を感じる。
良いも悪いも、そんなのは「個人の自由」だと思うんだけど・・・。

法的に結婚を認めるかどうかとか、同性愛カップルに例えば養子縁組をする際の判断とかっていうのは、政治的な思惑も働いてくるしまた別の問題だろう。
ブッシュ大統領だって、同性愛カップルの結婚を認めないという政策で、保守的なカトリック教徒の支持を得て、再選を果たしたし(いや、もちろん話はそんなに単純じゃあないけれど)。

個人の恋愛なんだから、それが同性間であろうが異性間であろうが、そんなの第3者から評価されるような次元の話ではない、と思う。

話は変わるけど、
ゲイの男性には、美形が多い。
しかも、彼らの多くはきれい好きでおしゃれ。
さりげなく流行を取り入れながら、それに流されずに自分らしいスタイルを確立していたりする。
そういう人はヒゲだって毎日きれいに剃っている。

あんなにかっこいいのに、女性には興味がないなんてガッカリ、なんて思ってしまう。

そしてゲイの男性は、女性に対してオープンで、初めから親しげに距離を詰めて近づいてきたりする。
しかも人懐っこく優しくって可愛いタイプも多いから、ゲイだということを知らないと、自分に気があるのかも、なんて勘違いしてしまったりする。

実は、経験有り・・・(笑
幸い、すぐ後に彼がゲイだと言うことが判明したため、恥をかかずに済んだ。
あーよかった。

考えてみればそれも当然のこと。
だって彼らにとって女性は、「同性」であり、「恋愛対象ではない」んだから。

そう言えば昔そんな映画があったっけ。
ゲイと"付き合う"のが好きな女の子の話。
たしか、清水美砂が主演していた。
「オカマ」にくっついているから「オコゲ」、なんていうネーミングだったから覚えている。
あの映画、観てみたいな。

ドイツの小さな大学町

もちろんその都市によっても違いはあるだろう。
ちゃんと住んだ事のある街は一箇所だけだから、こんな大雑把な表現は乱暴かもしれない。
しかし、ドイツの都市は大体どこでもコンパクトで、それでいて必要な都市機能や文化施設、住宅地と緑がバランスよく揃っていることに驚かされる。

6年前に生まれて初めて訪れたドイツ。
フランクフルト空港に降り立ったわけだけど、私の想像の中ではフランクフルトと言えば中央ヨーロッパの玄関口、ドイツ最大の大都市くらいのイメージがあった。
だって、ハイジがなじめずにノイローゼになった街だし。
フランクフルトがすごーーーく小さい都市であることに受けた衝撃はいまだに忘れられない。
いや、ドイツの中ではそんなに小さな都市でもないんだろうけど。

さて、私の住んでいる街は、ドイツ南部にある人口20万人ほどの大学街。
これといった産業もなく、市の人口の15%くらいが学生じゃないかというくらい学生が多い。
中世の頃の面影を残す旧市街地が美しく、観光地としてもそれなりの賑わいがある。

小さいながらも地方中枢都市としての役割を担う:
行政機能が終結しているので、便利。市立劇場や市立コンサートハウスもあるので、文化的にとても充実している。さらに大学や高等専門学校があり、例えば音大では毎週コンサートがある。

リベラル:
住民に対する学生や大学関連者の割合が高いせいか、政治的には赤で環境意識の高い人が多い。外国人には住みやすい。

映画館が多い:
ロードショー系の大型映画館だけではなく、単館系の小さな映画館もいくつかあるため、世界各国から配信される映画が観られる。そのため、冬場や天気の悪い日などにも退屈することが無い。そして入場料が日本よりも安い(5ユーロ、約690円)。

カフェや飲み屋が多い:
学生や観光客が多いせいか、カフェやパブ・バーなどの選択肢が多い。小洒落たちょっとお高めの店から、大学街らしい安くて気軽な店まで色々ある。ビールやコーヒー一杯で何時間でもおしゃべりして過ごせる。

市の外側には自然が一杯:
市自体が大きくないため、町の中から森が始まっていたりするし、鉄道で街から少し離れれば、ハイキング,マウンテンバイク,スキーなどスポーツをする場にはこと欠かない。

物価が安い:
これはドイツ中どこでもそうだけど、ヨーロッパの中でも物価は安い方。生活費が安く抑えられるから、低所得者層代表のような私にはありがたい。といっても、私の住む街はドイツの中ではかなり家賃が高い方。旧東ドイツ地域へ行けばもっともっと家賃も生活費も安いはずだけど、失業率もものすごーく高い。

というわけで、ヨーロッパに住むとしたら、ドイツの小都市はオススメ。
これで日本語が通じれば言うことないんだけど。

日本-アジアの小国と先進国という顔

多くのドイツ人にとって日本は、地球の裏側、アジアの東の外れに位置し、欧州とはまったく異なる文化背景を有する小さな小さな島国(日本の国土が、ドイツの国土よりもわずかに大きいということを知るドイツ人にはいまだ出会ったことが無い)であると同時に、
同じく第2時世界大戦の敗戦国でありながら、戦後に驚異的な復興と経済成長を遂げ、世界のトップであるUSAに届かんばかりの産業国・経済大国へと変貌した「得たいの知れない未知の国」である。

だから、新聞やテレビで断片的に伝わってくる日本の政治・経済・文化に関する情報に人々は強い関心を示す。
知り合いの中に日本人が居ればなおさらである。

その情報って言うのが、とても偏っていて、ビデオ・ゲームや漫画(特に暴力的で残虐性の強いもの),アニメ(それもポルノアニメ)に子供から大人までが熱中する姿だったり、サラリーマンの過労死だったり(そのままKaroshiと呼ばれる、だって概念、怠け者のドイツ人には必要無いし)、朝晩の通勤ラッシュだったりする。

それはもう万国共通、一般の視聴者・読者には、そういう偏ったショッキングな情報のほうが面白いのだ。

さて、皇太子妃の体調がすぐれず、日本のマスコミが毎日1分を争うように関連情報を流していた頃、
ドイツのマスコミでも、数度この件に関して報道を行った。

内容は大体が日本の報道の写しであったが、
「トップクラスの学歴、キャリア持ちながらも皇太子との愛を選び、保守的な世界へと入っていった。今では男の赤ちゃんを産むことだけを周囲から熱望されている、悲劇のプリンセス」
と、皇太子妃に同情的なものが多かったように思う。また、日本の保守的な社会構造の異質性が指摘されていた。
ある新聞は、皇太子の成婚、皇太子妃のプロフィール、第1子の誕生そして現在までの経過を特集した結構長い記事を掲載した。

記事が出た翌日には、多くの同僚、友人、知り合いからこの件に関する、日本人側の情報と私の見解を求められた。

質問の観点は多くの場合、「なぜ女性が天皇になってはいけないのか?」である。
もちろん私は出来る限り丁寧に答える。

日本には過去に延べ8人の女帝が居たこと(そのうち確か二人が名前を変えて2度ずつ天皇を務めていたはずであること)、
彼女達は次期天皇が適当な年齢に達するまでのつなぎで実権は摂政が握っていたこと、
近代憲法には男系の子孫が天皇を継ぐことと記されてあるので現在の憲法では女性には継承権が無いこと、
日本政府はドイツと違って憲法の改正はあまり行われないこと
しかし多くの国民は、女性天皇を受け入れることに抵抗を感じていないこと

ここでドイツ人が驚くのは、経済大国でハイテクのメッカである先進国日本が、女性には皇位継承権を与えないという、いまだに中世か近世のような保守的なシステムを温存しているという点である。

現在のところ法的には女性には皇位継承権が見とめられていないが、歴史的に見て女性にも正当な継承権があると思う。

大体、日本では古来から天皇が実権が握ったことは非常に少なく、まつりごとを実際に自ら行った天皇の名前が歴史の本に載っているくらいだ。
学校でだって、「日本の天皇は国のシンボル」だと教えられた。
シンボルならば、女性だって男性だって構わない。
それよりも国内外にウケが良い方が良いんじゃないだろうか。

日本国憲法は、基本的人権,軍隊の放棄,戦争の禁止など、すぐれた点も多いので、簡単に改正できるようになるのは、それはそれで考え物だ。
しかし、第2次大戦からすでに60年が経過し、社会状況だって変化しているのだから、男女の差でランク付けを行うような「伝統」はそろそろ取り払ったほうが良いのではないだろうか。

格安航空券のナゾ

就活ネタじゃあないんだけど、
ANAやJALの国際線チケットは、ドイツから買うと日本から買うよりもだいぶ安い。
これはきっと留学している人や海外で生活している人なら誰でも知っていることなんだろうと思うが。

ドイツへ来る前は、ANAやJALの国際線とはまったく縁が無かった。
海外旅行をするとなれば、インターネットや旅行雑誌を使って、出来るだけ安い航空券を探した。
乗るのはだからいつも大韓航空などだった。

ドイツへ来て8ヶ月ほど経った頃、急な用事で帰国しなければならなくなった。
旅行会社のオフィスへ行き、最も安いチケットを探してもらう。
「何歳?」「学生?」「期間はどのくらい?」

ANAもJALも学生割引価格があり、さらに最大45日間まで日本に滞在が可能なのだ。
こういうパッケージ、日本発着でもあるんだろうか?
また、他のヨーロッパ諸国やアジア、アメリカ、アフリカなどの他の地域ではどうなんだろう?

私がドイツへ来たのは1999年の春。
その当時で、ANAの学割・最大45日間チケットが大体900マルク、5万5千円くらいだったと思う。
しかし、それもユーロの導入、9・11後の安全体制強化(?)でどんどん値上がりしつづけ、
この間の帰国の時は、ブリティッシュ・エアウェイズ(3ヶ月以内Fix)で600ユーロ、8万4千円くらいだった。

それにしてもいつも不思議なのは、なぜ日本で買う時の価格と海外から買う時の価格が違うのか、という点。
私の頭で思いつくのはまず、カラで飛ばすよりも、割引してでも埋まったほうが経済効率が良いだろうという、ディスカウント商法。
しかし、日本から飛び立った人は、普通遅かれ早かれまた日本へ戻ってくるはず。
つまり、海外へ飛び立った飛行機が、カラで帰って来るということは、長い目で見れば有り得ないのでは?
それに、日本発に勤務した乗員は、また日本着の便に勤務するのだから、海外発なら人件費が安いということも考えられない。第一、日本の航空会社なら、乗務員のほとんどは日本人じゃないか。
わざわざ現地採用で就職し、安い給料で日本採用の乗務員と同じレベルで働く人っているんだろうか?
ということは、燃料費や消耗品などのコストが安いんだろうか??

ナゾだらけの格安航空券。
その筋に詳しい人がいたら、是非教えてもらいたいと思う。


Basta. Rotwein oder Totsein. (2004)

久しぶりに映画館へ行った。
今回観た映画は、ウィーンを舞台にした「バスタ-赤ワインか死か」という映画。
Bastaポスター
ドイツとオーストリアの合作で、監督:Pepe Danquart、出演:Henry Hübchen, Moritz Bleibtreu, Corinna Harfouch他。

「ウィーンで一流のコックとして働いているオスカーは、裏ではロシアのマフィアの元で仕事をしている。刑務所で服役中に、心理カウンセラーのマリアと知り合い、愛し合う。マリアを生涯の伴侶にと心を決めたオスカーは、裏の仕事から一切足を洗おうと決心するが、マフィアのボス、コンスタンティンから、最後の仕事を依頼される・・・。」
というあらすじの紹介を読んで、期待して映画館へ足を運んだ。
こういうメチャクチャな展開っていうのはたいてい外れない。

それに、Solino でも主演していたモーリッツが出演しているのだ。彼は、美男子ではないけれど、存在感があって、良い役者だ。ドイツの若手俳優の中でもトップクラスだ。今回も、期待に背くことなく、ちょっとお馬鹿でちょっと気の好いマフィアの子分を演じていた。彼は、こういう役をやるとピッタリはまる。お馬鹿でも、サイテー男でも、彼が演じるとどこか憎めない。
Bastaモーリッツ
ローランド・デューリンガーとモーリッツ・ブライプトロイ

映画は、想像以上のハチャメチャぶりで、十分楽しめるエンターテイメント作品だった。
何も考えずに笑える映画って、ドイツ映画では結構珍しい。
以前のドイツの映画って、設定は面白いのに、妙に理屈っぽくて、つまんなくしてしまったり、「芸術作品」を意識しすぎて鼻についたり、素直に楽しめないことが多かったけど、最近は1年に1本くらいは当たりが出る。

主人公オスカーを演じているヘンリー・フュップヒェンがカッコイイ。
人生のほろ苦さを知り尽くした渋い中年男の魅力をふりまいている。
個人的には、ショーン・コネリーの次くらいにセクシーな背中にうっとり。
でかい鯉のタトゥーが結構笑えるんだけど。
Bastaヘンリー
料理の芸術家でマフィアの殺し屋を演じるヘンリー・フュップヒェン

ラスト付近のドタバタは、ちょっとやりすぎな感もあったけど、
ラストの締め方もちょっと期待はずれな部分もあったけど、
全体的には、満足。

特に良かったのは、ウィーン訛り炸裂のマフィアの子分と、標準語を話すモーリッツとの掛け合い。
すっごくボケが利いてて見ているだけでも面白いんだけど、ウィーン訛りがきつすぎて、何言ってるのかよくわからなーーーい(涙)
隣でいちいち爆笑している彼(ドイツ人)がうらやましい。

DVDが出たら、もう一度ゆっくり家で字幕付きで観てみたい。

GとJの恋

ドイツでは、「付き合ってください」とか、「彼女になってください」なんていう告白はしない。

と思う。
少なくとも、私はされたことがない。

良いな、と思ったらデートに誘う。
週末に会わない?とか、ご飯食べに行かない?とか、とってもラフな言い方で誘われる。
行く先も、気取ったレストランとかバーとかでなければならないわけではなく、
映画だったり、普通の飲み屋だったり、カフェでコーヒーだったり、森へ散歩だったり、
とにかく二人で時間を過ごそうということになる。
その場で二人の雰囲気が盛り上がれば、また二人で会うことにする。
それを繰り返しているうちに、キスしたり、家に招いてご飯を作ってあげたり、そのうちに泊まっていったりする関係になる。

もちろん、あくまで友達として気が合って楽しいからまた会おうってこともあるから、
二人で会うからカップルってわけではない。
セックスするけど、友達、みたいな人だってきっといるはず。

じゃあ、どこで分かるのか?
・・・。

雰囲気、かな。

会話の中で自分達をセットにした話になったり、家族に紹介されたり、友達にパートナーとして紹介されたりする。

「あ、今、私のこと、彼女って紹介した」

そんな感じ。

さて、本題のGとJの恋物語。

アメリカ人のGとオランダ人のJは大学で知り合った。
二人とも、誰に対してもオープンでいつも明るく、冗談ばかり言っては笑いを取るタイプだ。
Jはヨーロッパの男の子らしく、女の子を紳士的に大切に扱う心優しい男の子。
Gは周りをあんまり気にしないで、前後も考えず行動して周りを巻き込んだりするちょっとカオスな女の子。
いつも数人でワイワイと楽しそうにしている彼らが、いつからか二人だけで見かけられるようになった。
私達の間では、みんな彼ら二人が付き合っていて、上手く行っていると信じて疑わなかった。

そんな二人の関係は、長くは続かなかった。
Gの煮え切らない態度に、Jが辛くてついていけなくなってしまった。
思い悩んだ挙句に、Gに別れを告げたJ。

後日、いまだにとっても興奮状態のGが早口にまくし立てる。

「Jから、私とはもう終わりにするって言われたの。
終わりにするなんて、そんなことできるわけ無いじゃない。

だって、わたしたち、付き合ってないんだから!!!

そりゃあたしかに、キスしたりじゃれあったりもしたわよ。

でもそんなことあたし、誰とでもするし。」

そうか、アメリカでは、デートすることとパートナーとして交際することは別なんですね、もみじさん
ようやく、ここ数年来の疑問が解けました(笑

そう言えば彼女、こんなことも言っていた。

「彼は、一緒にジョギングに行ったり、サイクリングに行ったりするのにすごく良い相手だったのに、それが出来なくなるのは残念だわ」

明るくて楽しいGは大好きだけど、当時は、「あの心優くて人懐っこいJをもてあそぶなんて、可愛い顔してなんていうモラルを持った子なんだって」思った。でも、これも文化的背景の違いっていうんだろうか。